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【コスモとスバルのドラッグなはなし】 No17 「続・スバルのはなし」

2020/01/25

ブログの記念すべき第一回でスバルについて書きましたが、今日はその続編。

『スバル』-ヒコーキ野郎が作ったクルマ(野地 秩嘉 著=プレジデント社)がスバルの前身である、中島飛行機の歴史について、語っていますので、手抜きになりますが、抜粋引用します。

「中島飛行機は往時、東洋一の航空機メーカーだった民間会社だ。戦闘機の隼(はやぶさ)、鍾馗(しょうき)、疾風(はやて)は同社が開発したエンジン、機体であり、三菱航空機が作ったゼロ戦も量産した機体数は中島飛行機の方が多い。最盛時は147の工場、26万人の従業員を擁した巨大企業である。」

「初期の中島飛行機の技術陣を指導したのは、仏戦闘機メーカーのニューポール社から招かれたアンドレ・マリー。マリーさんと助手ロバンのふたりが中島飛行機の設計者に伝えたのは人命尊重主義、つまり安全でした。マリー技師は技量のあるパイロットを失うことをもっとも恐れ、戦闘機の設計、航空機の設計にとって大事なのは安全なんだ、と。その辺が戦闘力、スピード重視のドイツ人技師とはまったく考えが違っていたようです。操縦席や燃料タンクを厚い防弾壁で囲みました」

「富士重工(スバル)は飛行機と同じ安全意識を持っていた点で、他の自動車メーカーと違う。」「広い窓」「日本初のデフロスタ(霜取り)導入」「水平対向エンジン」{四輪駆動」「アイサイト(衝突防止システム)」などの技術はみな、安全性能につながる。将来、時代が自動運転になっても、コネクティッドカーであっても、安全でなければ誰も乗らない。」

「幸せなことに、スバルは飛行機を作っていた時代から、安全をクルマの特質として考えてきた。アイサイトの性能が評価されたというよりも、アンドレ・マリー技師以来、考えに考えてきた乗員を守る安全思想が、今の時代になってまた評価の対象になったということだろう。」  (以上 引用)

自動車分野では巨大企業ではなくても、熱烈なファンが国内外問わず多いのは、そんな理由なのかも。

わたしたちの「スバル」薬局も「安全」と「信頼」をキーワードに、コアなお客さまを一人でも多くふやしたい。と思います。(P)